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珠玉の囁き

珠玉 15



そういう意味で恭子は天性の詩人であり、単なる憧憬から芸術を志向する類の者とは明らかに一線を画していたのだった。

さて私の稼業の方はますます好調であった。

私は一定以上恭子の内面世界に近づけぬ反動から、いよいよ俗物根性の権化へと化していった。平均月収50万円を超えるという羽振りの良さにものを言わせて浅草の一等地にマンションを借り、家財道具一式を買い揃えて来るべき日を待ち受けた。




またデートともなると、つづまやかな喫茶店めぐりでは飽きたらずして、瀟洒なレストランやナイトクラブに恭子を誘い、一滴も酒が飲めぬ彼女の目の前で上等な酒をあおり一人気を吐いた。

尖ぎ澄まされた神経、シュールさ、こういった恭子の愛用文句に私はかみつき、自分の生活力の逞しさを掲げて反駁した。







「確かに俺は、パチンコ玉一球一球にロマンを追い求めるアルチザンなのかもしれない。

そのロマンに自己実現の幻影を観ている愚か者なのかもしれない。

だが現実にはどうだ。二十歳そこそこの若者が、中年紳士ですら稼ぎ得ない年収を達成している。

しかも組織に属せず自分一人の力でだ。その価値は虚構をもてあそぶ韻律よりもよっぽど実在的であるとは思わないか」




議論の度に恭子は、悲しげな表情を帯びて疑念を差し挟んできた。

「あなたには虚文に映るかも知れないけれど、詩歌はわたしになくてはならないものなのよ。人それぞれが違うわ。現実に幸福を見いだせない人もいっぱいいる。わたしはその人たちの魂を美しいと感じるわ」




だがかく主張して止まなかった恭子も、人間の関係性においては私が語る現実的視座を容れざるを得なかった。

特に絞り込まれた関係性を伴う男女の連関にあっては、相方に自己同一性を求めることは関係の衰滅を意味していた。

恭子は過去の反省から私との関係を肯定的に捕らえようとしていった。







実際恭子は数多くの男性と交渉を持っていた。

・音楽家志望の私学生

・小説家を父親に持ち、その強い推奨によって新人賞を獲得したものの二作目以降が書けず文壇から消えていった大学の講師

・そして前述の青年詩人・・・

と、主だったメンバーは全て、私異常にシュールなアルチザンであり、私以上に強く恭子の精神世界と結びついていた。




ところが彼らに共通して見られた唯一にして最大の弱点は、実在人としての雄々しさ、甲斐性の欠如であった。

恭子は、数多くの男性遍歴の末に、自分が求める男性の理想像の中にいつも決まって現れるウィークポイントを感得しないではいられなくなっていた。




「あなただけは、わたしがこれまで出会った人とは違うのだわ」

恭子は何かにつけて、私を指してそう言ったものだ。

最初半ば軽蔑気味に評せられたこの一言が、だんだん付き合っていくうちに賛美の意味あいを濃くしていった。恭子も次第に私の独自的実在を受容するようになった。

私の方も、最初は彼ら繊細な男たちと同じようにありたいと願い、やがて彼らとは異なるようにありたいと願うようになった。

かくして、私と恭子は生活を共にするようになった。



続く・・・
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珠玉の囁き

珠玉 14



私たちはそれから半年あまり、プラトニックな交際を続けた。

私は土曜日の夕方になるとあわただしく一週間の仕事納めをして、少女のもとに急ぎ、それから食事をしたり映画を観に行ったりした。

二人は半年間に、どれほど情熱的に文学を論じたことだろう。

いっとき私はまるで高校生の頃に立ち返った気分となって、これまでに読んだ小説の批評や感想を述べたりした。




だが私の話を聞きながら、ときに少女が髪を掻き上げる仕草はどこか虚ろで、ふと屋外を見やる視線は悲しさに溢れていた。

少女は片時も失った恋人を忘れることができなかったのだ。







少女の名は恭子と言った。

恭子はまた悲しい境遇の持ち主でもあった。

生まれ落ちたときから養子に出され、二十年間ただの一度も生みの親とまみえたことがなかった。

戸籍上も養家の実子として登録され、本人が希望するしないにかかわらず、生母を捜す手がかりが全く途絶えていた。




しかも幼少期に第一の育ての母親と別れ、岩手の実家では酒造経営に辣腕を振るう水商売上がりの第二の継母が、養父を組み敷いて金銭勘定に余念がなかった。

恭子は継子である事実を高校生時代に知った。

たわいのない親族の会話の切れ端から、隠されていた真実を聞き知ったとき、恭子の神経は宙をさまよって分裂した。

優しかった第一の母親も、ぐうたら者ではあるがことのほか甘やかし続けてくれた父親も、皆かりそめの存在であった。




恭子は自分自身が実存を持たない影法師であるかのような錯覚に陥った。

恭子は消滅していきそうになる精神をすんでのところで持ちこたえた。

それは、膨大な書物の文字量をこんこんと泉のように湧き出してくる内なる言葉のリズムによってであった。

恭子の詩句は呼吸そのものであり、生存のあかしでもあった。恭子は精神の臨界点で詩を綴った。

詩韻無くして、ひとときも生きられなかった。自己を圧殺するために、うち殺した自己から新しい自己を生み出すために、言葉を吐き続けた。



続く・・・
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